神将
神将は、薬師如来の周囲を守護する十二神将によって代表される。宮毘羅(子)伐折羅(丑)迷企羅(寅)安底羅(卯) 類爾羅(辰)珊底羅(巳)因達羅(午)波夷羅(未) 摩虎羅(申)真達羅(酉)招杜羅(戌)毘迦羅(亥) がその総称である。十二支をそれぞれに付加したのは後に、中国から入ってきた十二支思想がそれぞれに当てはめられた結果である。
釈迦を中心にした般若十六善神というものもある。釈迦三尊の左右にそれを配し、さらに、阿難、法涌の両弟子、玄奘三蔵と深沙大将を付け加える。わずらわ しいので、各自の名称ははぶく。すべて、何々善神とつく。
神将に対して、天部の数が多いことはすでに見たとおりだが、奈良時代の四天王は、平安時代以後は、十二天によって代表されることになったので、それを列記しておこう。なぜ、十二かと言うと、方位の八方と天・地に、日月を加えたもので、ここにも、十二を一単位とする思想があらわれている。奈良西大寺蔵の作例が最古のものとしてよく知られている。
帝釈天 (東)、火天(東南)、焔魔天(南)、羅刹天 (西南)、水天 (西)、風天 (西北)、毘沙門天(北)、伊舎那天(東北)、梵天(天)、地天 (地)、日天 (日)、月天 (月)。
天部・神将のなかの念怒形に似たものに明王があるが、これは、密教に特有のもので、大日如来の命を奉じて、念怒の相をあらわし、諸悪魔を降伏して仏法を守る尊像である。五大明王によって代表され、不動を中心に、降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉の五体で構成される。「夫婦和合の聖天は歓喜天ともいい、愛の神で ある愛染明王、前記の吉祥天、一切の災禍を除き利益を増すとして、とくに武士の間で崇拝された魔利支天、稲荷の御神体ともされる荼枳尼天なども、密教系の天・神である。孔雀明王は奈良時代からある古い明王で、悪虫や毒蛇を喰う孔雀の神格化である。
仏像の主要なものは、以上であるが、なお見落としてならないものに、次のものがある。
【その他】
「童子」不動明王の脇侍として左右にたっている三尊形式のものをはじめとして、八大童子というものがある。そのいちいちを挙げるまでもないが、不動明王に従うのが、矜羯羅、制咤迦の二童子である。
比丘祖師は高僧のような頭をまるめて僧侶の形をとった仏像を言う。なかには、地蔵菩薩のような僧形の菩薩もあり、また、僧形八幡神(応神天皇)のようなものもある。
「邪鬼」 天邪鬼ともいい、四天王や仁王が足で踏んで いるとぼけた子鬼。
【十三仏】
最後に、鎌倉時代の終りから始まる十三仏信仰について述べておきたい。十三仏の選定をだれがおこなったのか定かではないが、日本人の信仰の対象となるもっとも代表的な仏像 として、せめて、この程度の像についての知識はだれもが持っているべきだろう。それぞれの忌日と共に列記しておこう。 「不動明王 = 初七日、釈迦如来 = 二七日、文殊菩薩= 三七日、普賢菩薩 = 四七日、地蔵菩薩 = 五七日、弥勒菩薩 = 六七日、薬師如来= 七七日、観世菩薩 = 百箇日、勢至菩薩 = 一周忌、阿弥陀如来 = 三回忌、阿悶如来= 七回忌、大日如来=十三年、虚空蔵菩薩 = 三十三年。
このなかでは、阿久如来はついに、一般的にならなかった。
【混合仏】
仏教は、ご存じのように、インドに生まれて、中国と朝鮮を経て日本に入ってきたものだが、この国には在来の信仰があり、人々に受け入れられるにいたっては、それとの混合が自然にあるいは政策的におこなわれて、さまざまな独自の垂迹仏と言わるものが出現した。春日曼陀羅、熊野曼陀羅、石清水八幡曼陀羅と言った図像に描かれてる神道の神々と如来、菩薩との配置・合体はそれを示している。
金剛蔵王、蔵王菩薩とも呼ばれの金峯山を中心とする修験道か明神もまた、三井寺園で、スサノオノミコトにこれに対置されるのが、比叡山の赤山明神で、弓矢をとる赤衣の俗体で、いっそう日本的である。弘法大師に 関わる神護寺の清滝権現、住吉明神なども同類であり、祇園神社の祭神である牛頭天王、そして東寺、薬師寺などにある僧形八幡神などは、歴史時代の所産である。もっとも現人的なのは天神で、菅原道真の怨霊を鎮めるために創出された。 「その種の具体的な現人とは異なり、 人々の幻想から生まれたものに、風神・雷神がある。その源は前記の十二天のなかの風天にあり、雷神は古代神に発していると考えられる。現実的には、天然現象に関わり、除災の念願の表現として、京都の三十三間堂の彫像、それに基づく宗達の絵画が著名である。 各地にある道祖神や七福神もまた、この系列のものとみなされる。
【現身仏】天神とは性質を異にするが、現世的な仏像としては、 高僧のものがある。古くは、仏教各派の祖師、また、 日本の高僧では、鑑真、行基、良弁、最澄、空海、空 也、源信、親鸞、日蓮など無数である。特殊なものでは、修験道系の役小角、聖人である聖徳太子などが祭られている。
特定の人物の肖像ではなく、修行者の各種各様の真 摯な形姿を造形したものが、羅漢像で、驚くべきこと に一体毎に名前が付されて、しばしば、十六羅漢、五 十羅漢、百羅漢、五百羅漢という大きな群像形式をもって屋外に配置されているのは壮観である。耶馬渓羅漢寺のものを始めとして、鎌倉の建長寺、川越喜多院のものが広く知られている。絵にも描かれるが、画家である若冲が京都深草の石峰寺に作った石像は、独特である。

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三冬花 谷崎未来
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