重要無形文化財(人間国宝)について
いわゆる人間国宝と呼ばれているものは、重要無形文化財保持者の一般的な呼称で、大別して芸能関係(音楽、舞踊、演劇など)と工芸技術関係(陶芸、染織 漆芸、金工など)の二つの分野から選ばれています。 また工芸技術関係では陶芸、染織、漆芸、金工、金工(刀剣)、人形、木竹工、諸工芸、和紙があり、その作品は高く評価されております。
人間国宝
【色絵磁器】富本憲吉、加藤土師萌、藤本能道、十三代今泉今右衛門、十四代酒井田柿右衛門、十四代今泉今右衛門
【小石原焼】 福島善三
【鉄釉陶器】石黒宗麿、清水卯一
【無名異焼】五代伊藤赤水
【民芸陶器】濱田庄司
【釉裏金彩】吉田美統
【志野】荒川豊蔵、鈴木藏
【瀬戸黒】荒川豊蔵、加藤孝造
【常滑焼】 三代山田常山
【萩焼】三輪休和(十代三輪休雪)、三輪壽雪(十一代三輪休雪)
【彩釉磁器】 三代徳田八十吉
【備前焼】金重陶陽、藤原啓、山本陶秀、藤原雄、伊勢崎淳
【青磁】三浦小平二、中島宏
【唐津焼】中里無庵
【染付】近藤悠三
【青白磁】塚本快示
【民芸陶器】島岡達三
【琉球陶器】金城次郎
【三彩】加藤卓男
【鉄絵】田村耕一
【白磁】井上萬二
【練上手】松井康成
『指定技術 陶芸』
【萩焼】(昭和45年指定)
萩焼は、文隊・慶長の役以後、毛利藩の庇護のもとに、現在の山口県萩市松本に開業され、のち同県内の長門市深川などに伝播定着したもので、朝鮮の技法・様式をよく伝えている。萩焼、とくに萩茶碗は、その手どりのほどよい重さ、釉調の味わいなどによって古くから茶陶の中の優品として賞用されている。 |
【鉄釉陶器】(昭和30年指定)
鉄釉陶器は釉薬中に含まれている鉄分(酸化鉄)によって、黒色・黒褐色・茶色・柿色などに呈色する陶器のことで、天目釉とも呼ばれている。中国宋時代の天目が有名だが、わが国では鎌倉・室町時代以降、全国各地で制作さている。 |
【琉球陶器】(昭和60年指定)
中国・朝鮮・薩摩などの技法を導入し、沖縄風に融合したもので、十七世紀以来、壺屋を中心として生産されている。陶土や釉などに地元の素材を用い、器形、装飾技法とも、独特のおおらかで明るい美しさの特徴がある。 |
【色絵磁器】(昭和30年指定)
磁器の表面に赤・黄・緑・紫等の色絵具で文様を表現する技法で、わが国の陶芸の重要な分野で多くの優れた作家を生み、世界的に高い評価を得ている。 |
【練上手】(平成5年指定)
練上手は、わが国の伝統的な陶芸技法の一つである。その工程は、色や濃淡の異なる色土を練り合わせたり、積み上げたりして器形を作り、縞文、木理文等を表現するものであり、性質の異なる二種類以上の陶土を用いることから、焼成上とくに高度の技量、経験等が要求される。練上手は、中国・唐代から始められた技法と伝えられ、宋代磁州窯系の練上陶器が世に知られ ている。わが国においては桃山期の作例が残されており、近世 には、常滑、万古等の各業で制作されている。近代、現代においても、練上手技法を駆使した作陶活動が行われており、器物の素地と装飾を一本化する技法として、歴史的にも芸術的にも 価値の高い工芸技術といえる。 |
【志野】(昭和30年指定) 桃山時代にできたわが国独特の焼き物で渋くて柔らかい味いを持ち、古来から茶人が最も珍重しているものの一つ。胎土は白色の志野特有の百草土で、釉薬には純粋な石が用いられ、文様の無地志野、釉下に簡素な鉄絵の文様のある絵志野、象嵌風の鼠志野などがある。 |
【白磁】(昭和58年指定)
陶石や磁土を主原料として成形し、その上に長石・石灰等に木灰を調合した透明釉をかけて焼成する陶芸技法あり、その白の発色は素地の白さに追うところが大きい。胎土の調合、轆轤または型打ちによる素地の成形・仕上げの後、素焼き、釉掛け、本焼き等の工程を経て制作され、彫文様等の素地装飾や緑釉等が併用されることもある。技法は中国の南北朝後期に始まるといわれ、北宋時代の定窯では多くの優品が制作されている。わが国では、近世初期の初期伊万里以来、各地で焼成され、現代に及んでいる。 白磁は、磁器の基本的技術として工芸史上重要であるとともに、芸術的にも価値の高い伝統的な陶芸技法として評価されるものである。 |
【三彩】(平成7年指定)
三彩は、緑・黄・藍などの低火度の色釉を施した陶器の制作技法であり、中国・漢代に始まったとされ、唐代にその技法が完成した。わが国では奈良時代に緑・黄又は褐色・白の奈良三彩が唐三彩に伽い焼成されており、その最古の伝世品として正倉院三彩があり、また、各地の遺跡からも多くが出土している。釉薬は、媒溶剤として鉛を用い、これに銅、鉄分等を呈色剤として加えることにより、緑や黄又は褐色等を発色させる。三 彩はわが国初期の施釉陶器制作技法として史上重要な地位を占め芸術的にも価値の高い工芸技術である。 |
【備前】(昭和31年指定) 現在の岡山県備前市を中心に発展してきた、わが国で最も古い伝統を持つ陶芸技法。鎌倉時代頃から始まり、最盛期の桃山時代には豪放で雅趣に富んだ名品を数多く生み出した。備前焼の陶土は、この地方特有の鉄分の多い土を原料としており、釉薬を用いない焼締めによる焼成方法が特色。大正時代末頃から、桃山時代の作調を模範とした芸術的作風が興り、今日の主流となった。 |
【民芸陶器】(縄文象嵌・平成8年指定)
大正時代末期以来、柳宗悦を中心に河井寛次郎、浜田庄司らによって推進された民芸運動は、全国各地の民窯の存在を広く知らしめるところとなった。これらの民窯は、その土地特有の原材料や技法などを使い、主にその地方の需要を満たす日用雑器を造っていた。その民窯の持つ伝統的技法と健康的で素朴な 作風は、現在の伝統工芸の分野において貴重な地位を占める。 そのような、全国各地の民窯における、伝統的制作技法を基盤 として、縄文土器の季朝三島手の融合という創意工夫が加えられた民芸陶器(縄文象嵌)の技法は、陶芸分野の中で高く評価されている。 |
【青磁】(平成9年指定)
中国で生まれ発達した、東洋独特の釉薬を用いる伝統的陶芸 技術法の代表的なものである。還元焼成による素地と釉薬に含 まれる微量の鉄分の働きで青磁色が得られる。わが国では江戸時代初期に肥前地方で制作が開始され、以後、京都や兵庫県三田などに伝わる。 |
【彩釉磁器】(平成9年指定) 本焼きした磁胎に色釉を施し、焼き付ける陶芸技法である。 特色は色釉の持つ美しさを濃淡や色彩の対比などによって表現するところにある。わが国では江戸時代以降、有田や九谷などにおいて用いられてきた。 |
【常滑焼】(急須・平成10年指定)
愛知県・常滑地方で得られる原料土を生かした轆轤成形による伝統的な急須制作技法である。滑の急須は、素地土・焼成方法の違いにより、朱泥、烏泥、紫泥、梨皮泥、南蛮、真焼等に分類されるが、いずれも、水簸による胎土の精製の手間と、極めて高度な轆轤技術が要求される。 |
【瀬戸黒】
桃山時代美濃の大萱・大平・久尻等でつくられ、渋い調子のわが国独特の焼き物。一名天正黒といわれ、焼き上ると真赤なうちに窯からひき出して急冷するので、引出黒ともよばれ古来から茶人が珍重していた。 |
【民芸陶器】
大正末期に興った民芸運動は、全国各地に散在している民窯の存在を広く認識させた。浜田庄司は、各地の民窯をたずねてその特徴を研究し、益子に住んで民窯の持つ作風を基に素朴豪放のなかに、芸術味豊かな独特の作風を生み出した。 |
【唐津焼】
唐津焼は、桃山時代の文禄、慶長の役前後から、朝鮮から渡来した陶工たちによって、現在の佐賀県、長崎県にまたがる広範囲な地域に数多くの窯が開かれ、江戸初期ごろまでを最盛期として盛んに焼造された。わが国の陶芸の一つの源流をなすものである。 |
【染付】
陶磁器の白い素地に呉須と呼ばれる酸化コバルトを含む顔料で文様を描き、透明釉をかけて焼いた藍色の文様のある焼き物を、わが国では「染付」と呼んでいる。染め付けの技法には骨描き、たみ、つけたて等があり、伝統的な陶芸の装飾技法の一つ。 |
【白磁・青白磁】
白磁は、陶石や磁土を主原料として成形し、その上に透明釉をかけて焼成したもので、その白の発色は、素地の白さに負うところが大きい。青白磁は、白磁胎に施された釉薬の成分や還元焼成によって、うすく青みを帯び、彫りくぼんだ部分に青みが溜ってみえる白磁をいい、また影青とも呼ばれている。 |
【鉄絵】
鉄絵は、酸化鉄によって文様が表現される陶芸技法で、製法の違いで、黒色・茶褐色・黄褐色等さまざまに発色し、変化に富む加飾技法である。筆描きによる描写が中心であるが、他に蝋抜き・筒描きなども用いられる。 |
『人形』
【衣裳人形】(昭和30年指定)
浮世人形・着付け人形ともいい、江戸時代に生まれた。近代になって一部の学者や愛好家の間で人形に対する研究が行われ、次第に工芸品として作者の芸術的な個性をはっきり表現するようになった。 |
『金工』
【彫金】(昭和30年指定)
わが国の彫金技法は、大陸から伝播され、仏教の渡来とともに仏具制作上必須の金工技術として発達した。室町期には、後藤家を中心とした「家彫」が興り、以来、装剣金工の隆盛とともに彫金よる金属加飾の技法に大いに工夫が凝らされ、精緻で洗練された細工が残される。明治初期の廃刀令により、技法は刀装具制作への用途を断たれ、造幣、装飾具、置物、建築金具等の製作に活路を開くことになる。このため、当時加納夏雄、海野勝珉の名工が彫金界の指導的立場にあって、因襲的な刀装製作の枠から脱皮を計り、技法の刷新に寄与した。現在彫金家の多くは、この時期の技法の伝統を継承しながら現代の感覚に沿った意匠による作品を発表している。 |
【鋳金】(昭和39年指定)
鋳金は、わが国の代表的な金工技法の一つで、銅、銅合金、鉄等各種の金属を溶解し、鋳型に注入して器物を鋳造する技法。弥生時代に開始されたといわれ、奈良時代には、既に東大寺大仏が鋳造されており、伝統的な工程は、鋳型の造型・合金の配合鋳込・着色仕上げ等から成っている。「鋳造法には、惣型・蝋型・砂型・込型等があり、惣型は、多くは土製の鋳型を用いる技法であり、蝋型は、密蝋と松脂で成型した原型に土を塗りかけ火中で蝋を抜いた鋳型を用いる。砂型は近世以降銭貨等の制作に用いられ、込型は、原型を土や石膏で塗り込めて成型された鋳造法。 |
【鍛金】(昭和52年指定)
「わが国の伝統的金工技術の中には、刀剣類鋳造とは別に、打物、鎚起と称する鍛金技法がある。これは金属の展延性を利用して、金属を鉄床等の上に置いて金槌、木槌で打ちながら所定の器形に成形してゆく手法で、古くから仏具、武具、茶器等の制作に利用されてきた。鍛金に用いられる地金は強靱で展延性に富む金、銀、銅、真鍮、鉄、錫、鉛等であり、工具類は鉄床や各種の当金を据える木台、金槌、木槌、塾等である。鎚打ちの際は、地金の亀裂を避けるために随時熱で処理しながら、地金の展延性、柔軟性、弾力性を回復させて作業をすすめ、機械類はほとんど使用しない。そのほか、技法には「鎖付」や、「着色仕上げ」の含まれることもあり、その手法は技術者の長年培われた技術と感覚と知識に左右される。これらの伝統的鍛金技法は、わが国工芸史上、重要なものである。 |
【茶の湯釜】(昭和38年指定)
「茶の湯釜は、惣型という一般の鋳型とは逆に砂でつくった型の 内面の肌を整え、へらで装飾文様をつくったものを原型とし、その内側に中型を入れ、その間に溶解した銑鉄を流しこんで鋳造する。「室町時代から桃山時代にかけて茶の湯釜が制作されるようになった。茶の湯釜には二つの様式があり、芦屋釜と呼ばれるものは形は温和で鉄肌も細かく水墨画風の図柄が多く、これに対し関東の佐野の天明に起源をもつといわれる天明金は、形も姿も男性的で肌も荒く文様も少ないのが特徴である。 |
【日本刀】(昭和30年指定)
わが国には四世紀ごろ、鍛えられた直刀があった。その時代の変遷にともなって打刀が出現し、桃山時代には長い打力と短い打力、いわゆる大小拵が正式のものとなる。「日本刀の特徴は、鋼を折りかえし鍛錬すること、固い「皮がね」と軟らかい「心がね」を組み合わせること、上取りをして焼入れをすることの三つ。研ぎ上げた刀が美しい肌、華やかな刃文を見せるのはこのためである。 |
【刀剣研磨】(昭和50年指定)
「わが国の刀剣研磨の歴史は、日本刀の変遷とともに進展して きている。特に足利期以来、技法は大いに発展した。研磨の技術は、それぞれの伝統的鍛法に基づく刀剣の微妙な地金の特質の研ぎ出すため、刀剣全般および鑑定の知識によって裏打ちされている。 「そして、研磨の工程を一貫して支配するものは、伝統的な手作業による繊細な感覚であって、手抜きや代替の効かぬ厳格なものである。刀匠に打たれた新身は、研師により入念に地肌を磨き上げられて、美術刀剣として完成される。 |
『漆芸』
【蒔絵】 まきえ (昭和30年指定)
蒔絵の技術は、古くからわが国に伝承する漆芸加飾の技法の最も代表的なものの一つ。およそ奈良時代に始まり、平安時代に純和風発揮した。さらに鎌倉時代にいたり技術的進歩を示し、室町時代には幸阿弥、五十嵐の両氏が出た。江戸時代に至って、両家のほか古満派、梶川派、琳派などが出て、その技を競いあった。明治時代においては柴田是真、白山松哉、川之辺一朝な どが個人的作家として知られた。蒔絵は、研出蒔絵、平蒔絵、高蒔絵、肉合研出蒔絵、木地詩絵、沃懸地等の地蒔など金銀粉を蒔く数多くの技法を有する。その他に天文(平脫)、螺鈿など色彩や光沢に変化のある素材を併用して、幅広く豊かな表現方法を有する。また、これらの技術は絶えず各時代の絵画等に影響され、また用具、用材等の発見、変遷等が見られる。蒔絵は、高度の技術を要し、その作調は豪華華麗で、古くか ら漆芸加飾中最も芸術的価値の高い技法の一つとされている。 |
【蒟醤】 きんま (昭和31年指定)
蒟醤は、漆芸における線刻の加飾技法の一つである。江戸時代末期に讃岐国(現香川県高松市)で活躍した漆芸家、玉楮象谷が積極的に取り上げて以来、讃岐漆器の代表的な技法となっている。 磯井正美 太田 儔(ひとし) |
【採漆】 きゅうしつ (昭和四九年指定)
茶漆は、漆工技術の基本となる重要な部門であり、その技術の範囲は、素地の製作から始まり、漆塗の下地法および上塗法に至る複雑で広い範囲にわたっている。 木材・布・竹・和紙等の材料の特色を生かした素地を作り、さらにその素地を堅牢にするために下地を施し、上塗には漆特有の美しさを発揮した各種の技法があり、蝋色塗(塗面を研ぎだして磨いたもの)、塗立花塗(塗面を研ぎださず、漆の光沢をそのまま生かしたもの)、透明塗(素地の美しさを生かしたもの)など数多くある。 塩多慶四郎 |
【螺鈿】 らでん (平成11年指定)
螺鈿は漆芸の可飾(装飾)技法で、夜光貝、鮑貝、蝶貝などを模様の形に切り、木地や漆地に埋め込むか又は貼り付けるものである。奈良時代に唐から伝えられ、正倉院に多くの遺品が伝存する。近世以降は、薄い貝を貼り付ける薄貝螺鈿技法が盛んになったが、近年再び、伝統的な厚貝螺鈿技法を主とする制作活動が行われるようになった。 北村昭斎 |
【沈金】 ちんきん (昭和30年指定)
沈金は、漆器の面に針、刀をもって文様を彫り、刻文中に漆りこんで、金箔あるいは金粉などをうめて加飾する技法である。 前史雄 |
『木工芸』
【木工芸】(昭和45年指定)
わが国の木工芸は正倉院の宝物以来、次第に日本的感覚のもとに洗練され、大きな発展をとげた。木工芸の技法は、原材の処理に熟達した判断が必要であり、製作にあたっては素材の特質を生かし、狂いのこないようにするため入念で長期間の工期を要する。 |
『竹工芸』
【竹工芸】(昭和42年指定)
わが国の竹工技術は、その素材の種類に恵まれ、簡素な美しさと強靱で弾力性に富む材質という特色をいかんなく発揮して発展してきたもので、その技法の種類は数多く、編組物・ 丸竹物・丸竹組物等に分類される。このわが国の竹工技術は、奈良時代に唐の技法が導入されて技術的に進歩したが、中世に茶の湯が流行するにつれ、わが国独特の作風を示すようになった。さらに近代になると高い芸術性をめざす創作作品が制作されるようになり、明治以降、早川尚古齋・飯塚琅井齋・生野 祥雲齋等の竹工芸作家が輩出した。 |
『撥鏤』
【撥鏤】 ばちる (昭和60年指定)
撥鏤(ばちる)とは、形成した象牙の表面を染料で紅・紺・緑などに染めて、その上から撥ね彫で文様をあらわす技法。奈良時代に日本に伝えられ、正倉院御物などに、その作品が見られる。平安時代以降、その技法は絶えたが、明治時代に吉田立斎が復興した。 |
『手漉和紙』
【越前奉書】 (平成12年指定)
越前奉書はこうぞを原料とする厚手の紙で、室町時代ごろから越前国立五箇郷(現在の福井県今立郡今立町)一帯で生産され、武家の公用紙として、その強靭な紙質と品格の高さを賞美されてきた。 |
『染織』
【友禅】 ゆうぜん (昭和30年指定)
友禅染は、江戸時代中期に大成された絵模様染で、糯糊による自由な描線と華麗なる色彩効果は、わが国独特のものである。友禅染は、京都、金沢、東京で発達した江戸時代以降の染織技術の代表的なものである。 |
【江戸小紋】 えどこもん (昭和30年指定)
小紋染めは、江戸時代に武家の裃の染模様として大いに隆盛し、わが国の代表的な染色技法の一つとなった。細かな単位模様を一面に配して一色に染めるところに特色があり、明治以後、一般の着物の柄として広く普及し、今日、江戸小紋と称されている。「技法上、もち米粉を主剤にして防染糊づくり、型紙を用いた型付け、色調の表現など技術者の腕の振るいどころである。これはわが国の型染の基本な技法であると同時に、その染めはすぐれた工芸美として高い評価を受けてきた。以上のように、江戸小紋は、伝統型染の基本技法を伝えるものである。 |
【紬織】 つむぎおり (平成2年指定)
紬は、本来、層繭から作られた真綿を手紡ぎにした糸で織られる丈夫な織物であり、糸づくり、糸染め、柄行ともに素朴で、手のぬくもりを感じさせる地風などはその特色の一つといえ る。もともと全国の農業で自家用衣料として手機で織られたものが、一般庶民にも広く着用されており、その産地は、主としてわが国養蚕地帯を基盤に形成されている。紬の歴史は古く、平安時代後期の文書にも見られるが、近年、染織作家の中から細の野趣に富んだ風合と伝統的な加飾技法を生かして、従来の素朴な紬織の芸術的価値を高める傾向が現れ、わが国の伝統工芸の発展に優れた成果をあげている。 |
【佐賀錦】 (平成6年指定)
和紙又は金銀の箔や漆を置いた和紙を細かく裁断して経紙と、多彩な絹糸を緯糸として竹箆を用いて織る染織技法であり、綾織を中心とし、菱形、紗綾形などの幾何学文様を基調とする。伝統的な技法を基本としながら、素材の吟味、織り方の創意工夫が加えられており歴史的にも芸術的にも価値の高い染織技法となっている。 |
【羅】 ら (昭和31年指定)
経糸が互いに絡み合う複雑な捩り織・揚み織の組織を織り出す染織技法である。古代に盛んに織られた後、中性以降衰退したが、 近代に至ってその製作技法の復原が積極的に試みられた。 精緻を極めた薄物の羅には、無文の羅と文様を織り出した文羅があり、組織は、網捩り、篭張りのほか、さらに平組織を併用した特殊な羅がある。 |
【経錦】 たてにしき (平成12年指定)
経錦は、錦の一つで数色の経糸の浮き沈みで地と文様を織り出す染色技法である。数色の経糸を一組として扱いながら、地または文様に必要な経糸を表に浮かせ、他を裏に沈めるための二種類の緯糸を交互に打ち込んで織りすすめていくものである。 |
【紅型】 びんかた (平成8年指定)
固有の色使いやデザインで沖縄の伝統文化を伝える染織技法。琉球王朝時代は、紅型意匠を着用できるのは士族階級以上に限られ、華やかな大模様のものは王族など特定の人々だけに許されていたという。十八世紀に大きく発展した。紅型とは、染め色に藍を用いた藍形に対して、多くの色を用いた型染の意とされる。色は顔料のほか琉球藍からとった藍、福木の黄などが用いられ、華やかな原色が見事な効果をあげている。友禅染、小紋染などとならぶわが国の代表的な染色技法である。 |
【綴織】 つづれおり (平成九年指定)
経糸の下に実物大の下絵を置き、杼に通した緯糸を綴りわけ文様を表す伝統的な技法である。特色は、緯糸が無地の部分以外は織幅全体に通らないで、文様表現に必要な部分のみ異なる色糸で織り進められることである。そのため文様の色の境目でハツリメという細かい隙間が生じる。多彩で複雑な絵文様を自在に表現することができる装飾性豊かな技法として知られる。 |
【刺繍】 ししゅう (平成9年指定)
染色品に針で色糸を練い取りして文様を表現する技法であり、絵画的文様を立体的かつ自由に表現できることにあり、刺繍のみで文様を表現する素繍と、友禅などのあしらいとして施されるあしらいに(株)いわけられる。表現の基礎となる技法は十数種類で、点を表現する相良繍・芥子繍など、線を表現するまつり繍・駒繍など、面を表現する繍切り・平繍などのほか、立体を表現する肉入れ繍などの特殊技法があり、撚りをかけない平糸(釜糸)、撚りをかけた撚糸、金銀糸などが組合せて用いられ、多彩な表現が行われる。 |
【首里の織物】 しゅりのおりもの (平成10年指定)
約五百年にわたる琉球王府時代の首都・首里を中心とする地域で育まれ、伝えられてきた伝統的な染織技法である。現在、首里の織物は7種類(首里花織、道屯織 両鍛織、花倉織、諸取切、手稿、煮認芭蕉布、花織手巾)の技法が伝えられている。素材は絹が中心で、ほかに苧麻や糸芭蕉が使われる。染色には、琉球藍を主体とした植物染料がかすりに用いられ、新については、くくりは手結による絣糸が用いられ、製織は地機および高機の投げひの手織によって行われる。 |
【有職織物】 ゆうそくおりもの (昭和35年指定)
わが国に奈良時代から伝わり、平安時代に和様化したもの。主として宮廷を中心に公卿高官階級が用いた。綿、綾、浮織物、二重織物、紗、穀などがある。 |
【読谷山花織】 ゆんたんざはなうい (平成11年指定)
読谷山花織は、浮織と絣を使用したきわめて特色ある伝統的な染織技法である。琉球が読谷村長浜を拠点に展開した南方諸国との交易を通じて一四、一五世紀頃に技術が伝えられ織られ始めたといわれる。素材は本来木綿が中心で、染織には琉球藍を主体とした植物染料が主に用いられる。絣については、くくりは手結による絣糸が用いられ、染織は地機及び高機の、投げひの手織によって行われる。 |
【芭蕉布】 ばしょうふ (平成12年認定)
芭蕉布は、糸芭蕉の繊維を糸にして用いる染織技法である。琉球藍染、木灰の使用などすべて天然の材料により、かつ、手くくり絣、手織り等による素朴な古来の技法を伝える。 |
【伊勢型紙】 いせかたがみ (昭和30年指定)
江戸小紋や浴衣・友禅などを染める型紙を作る技術で、縞彫・突彫・錐彫・道具彫などがある。江戸時代以来紀州徳川家の特別の保護をうけ、三重県鈴鹿市白子町一帯に発達した。 |