岡部嶺男の買取は三冬花にお任せください。

岡部嶺男作品の買取は、三冬花にお任せください。東海地方で広く扱われている岡部嶺男の作品を、当店で評価し買取いたします。市場の動向に基づいて、岡部嶺男の作品の価値を反映した公正な価格をお客様に提案いたします。お持ちの岡部嶺男作品の買取をご検討の場合は、三冬花にぜひご相談ください。お客様の貴重な作品に対し、適切な評価をいたします。

岡部嶺男の略歴 (Okabe mineo)

1919年10月3日愛知県瀬戸市に生まれる
1937年瀬戸窯業学校卒業
1940年入営し内蒙古部隊に入る。その後フィリピンで捕虜となる
1947年復員し、作陶を再開する
1954年日展特選・北斗賞受賞
1959年ベルギー・ブリュッセル万国博でグランプリ受賞
1960年永仁の壺事件が起きる
1969年皇居新宮殿正殿に『粉青瓷大砧』一対を納める
1978年脳出血で入院。加藤から妻の実家の姓である岡部姓に改名する
1990年呼吸不全により死去

岡部嶺男は陶芸界で高く評価されているものの、一般にはまだあまり知られていない陶芸家です。彼は有名な陶芸家である加藤唐九郎の息子ですが、様々な確執を経て父と決別しました。

岡部嶺男の代表作には、戦後の1954年頃から始まった「嶺男縄文」と呼ばれる壺などのシリーズがあります。1954年に《青織部縄文壺》で日展・特選・北斗賞を受賞し、2年後の個展ではこの「縄文」シリーズの大作を展示して注目を集めました。「嶺男縄文」は、縄文土器を現代的な造形物として再生させました。その特徴は、縄目を器胎の表面に押し付ける「隆起文」にあり、その文様は器胎と一体化してうねり、強烈なエネルギーを放っています。

永仁の壺事件について

「永仁二年」銘の瓶子(以下「永仁の壺」)は1937年に加藤唐九郎が作ったとされていますが、長男や弟が関与した説もあり、製作目的も習作や神社奉納用など諸説あります。この作品は1943年に初めて公表され、1954年に加藤唐九郎自身が鎌倉時代の作品として『陶器辞典』で紹介しました。

1959年、「永仁の壺」は鎌倉時代の古瀬戸として国の重要文化財に指定されました。陶磁研究の第一人者であった小山富士夫の強い推薦がありましたが、後に「松留窯」が加藤唐九郎の捏造であることが判明しました。

重要文化財指定直後から贋作疑惑があり、1960年に加藤唐九郎の長男・嶺男が「自分が作った」と告白し、その後に唐九郎本人も自作であると認めました。文化財保護委員会の調査で鎌倉時代のものではないと結論され、「永仁の壺」を含む3件の重要文化財陶器は1961年に指定解除され、小山富士夫が辞任しました。

事件の真相については依然として不明な点が残されていますが、「永仁の壺」が話題になったことで加藤唐九郎の名声はむしろ高まったと言われています。

岡部嶺男の買取相場

 岡部嶺男 最上位作 白米色瓷碗¥500,000円~¥1,000,000円
岡部嶺男 最上位作 鼡志野花生¥400,000円~¥800,000円
岡部嶺男 薔薇高台 窯変米色瓷碗¥500,000円~¥1,000,000円
岡部嶺男 粉青瓷大碗 上位作¥200,000円~¥500,000円
岡部嶺男 最上位作 絵志野茶碗¥200,000円~¥500,000円
岡部嶺男 青織部花生¥100,000円~¥200,000円
岡部嶺男 黄瀬戸筒花生¥100,000円~¥300,000円
岡部嶺男 黄瀬戸徳利¥50,000円~¥100,000円
岡部嶺男 最上位作 月白瓷盃¥100,000円~¥200,000円
岡部嶺男 最上位作 黄瀬戸銅鑼鉢¥100,000円~¥200,000円

岡部嶺男 買取実績

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