名古屋市で岡部嶺男さんの織部焼の花瓶を10万円で買い取りました。

先日、名古屋市東区の大切なお客様より、岡部嶺男さんの織部花瓶をはじめとする骨董品の買取のご依頼を承りました。岡部嶺男さんの作品は、その独特な美しさと技巧を持つものとして、多くのコレクターや愛好者から高い評価を受けています。今回お譲りいただいた織部花瓶も、その緻密な技法と深い色合いが感じられる素晴らしい作品で、私たちもその価値をしっかりと評価させていただきました。

この度は、数ある買取業者の中から当店を選んでいただき、大切な骨董品をお任せいただき、心からの感謝を申し上げます。私たちはお客様の大切な品物を適切な価格で買取ることをお約束いたします。今後とも、ご満足いただけるサービスを提供できるよう努力して参ります。重ねて、ご依頼誠にありがとうございました。

岡部嶺男 花瓶
岡部嶺男 サイン

岡部嶺男さんの買取相場

 岡部嶺男 最上位作 白米色瓷碗¥500,000円~¥1,000,000円
岡部嶺男 最上位作 鼡志野花生¥400,000円~¥800,000円
岡部嶺男 薔薇高台 窯変米色瓷碗¥500,000円~¥1,000,000円
岡部嶺男 粉青瓷大碗 上位作¥200,000円~¥500,000円
岡部嶺男 最上位作 絵志野茶碗¥200,000円~¥500,000円
岡部嶺男 青織部花生¥100,000円~¥200,000円
岡部嶺男 黄瀬戸筒花生¥100,000円~¥300,000円
岡部嶺男 黄瀬戸徳利¥50,000円~¥100,000円
岡部嶺男 最上位作 月白瓷盃¥100,000円~¥200,000円
岡部嶺男 最上位作 黄瀬戸銅鑼鉢¥100,000円~¥200,000円

岡部嶺男 略歴

岡部嶺男(旧姓:加藤)は、1919年に愛知県瀬戸町で生まれ、1927年に加藤から加納へ、1978年には加藤から岡部へと姓を変えた。彼は瀬戸窯業学校を1937年に卒業し、翌年東京物理学校(現・東京理科大学)に入学。しかし、1940年に中退し、軍に入隊。戦後、1947年に愛知県豊田市に居を構え、1950年代からは陶芸家としてのキャリアを本格的にスタート。特に1954年には縄文の作風を完成し、多数の展示や受賞を果たす。1960年代には青瓷の研究に専念し、粉青瓷を完成。1978年に脳出血で入院した後も活動を続け、1990年9月4日に亡くなった。

岡部嶺男 作品を買い取り査定いたします。

当店は、陶芸界での著名な陶芸家、岡部嶺男さんの作品の買取を専門としております。岡部嶺男さんの独特な手法と感性が詰まった作品を、適正価格で買取りさせていただきます。

三冬花の特徴

  1. 専門知識: 岡部嶺男さんの作品の歴史と価値を深く理解しています。適正な評価が可能です。
  2. 安心・信頼: 安全な取引をモットーにしており、お客様の大切な作品を丁寧に取り扱います。
  3. 簡単手続き: 必要な手続きは最小限に留め、スムーズな取引を実現します。

買取の流れ

  1. お問い合わせ: まずはホームページのお問い合わせフォーム、または電話でご連絡ください。
  2. 作品の確認: 作品の状態や特徴を確認させていただきます。必要に応じて直接訪問もいたします。
  3. 査定: 適正価格をご提示いたします。
  4. 買取成立: 価格にご納得いただければ、買取成立となります。

ご注意点

  • 作品の状態(キズ、ヒビ、欠け等)によっては、買取価格が変動する場合がございます。
  • 詳細な査定結果の説明をさせていただきますので、ご理解の程、よろしくお願い申し上げます。

当店では、岡部嶺男さんの作品の真の価値を高く評価し、その価値を正当に評価することをお約束いたします。貴重な作品の買取をご検討の際は、ぜひ当店をご利用ください。

We purchased a vase from Oribe-yaki by Mr. Okabe Mineo in Nagoya City for 100,000 yen.

Recently, we had the honor of receiving a request from a valued customer in the Higashi Ward of Nagoya City to purchase antiques, including a vase by Mr. Okabe Mineo. Mr. Okabe Mineo's works, known for their unique beauty and craftsmanship, have garnered high praise from many collectors and enthusiasts. The Oribe vase we were entrusted with this time is a marvelous piece that showcases intricate techniques and deep hues. We thoroughly recognized and appreciated its value.

We are deeply grateful that, out of the many antique dealers available, you chose our store to entrust your treasured items. We promise to purchase your precious items at a fair price. Moving forward, we strive to provide services that meet your satisfaction. Once again, thank you sincerely for your request.

Okabe Mineo - Brief Biography

Okabe Mineo, originally surnamed Kato, was born in Seto town, Aichi Prefecture in 1919. In 1927, he changed his surname from Kato to Kano, and then from Kato to Okabe in 1978. He graduated from Seto Ceramic School in 1937 and enrolled in the Tokyo Physical School (now Tokyo University of Science) the following year. However, he dropped out in 1940 and joined the military. After the war, in 1947, he settled in Toyota City, Aichi Prefecture, and began his career as a ceramic artist in earnest from the 1950s. Notably, in 1954, he perfected the Jomon-style ceramics, leading to numerous exhibitions and awards. In the 1960s, he dedicated himself to the study of celadon ceramics, culminating in the completion of powdered celadon. Even after being hospitalized for a cerebral hemorrhage in 1978, he continued his activities until his passing on September 4, 1990.

投稿者プロフィール

三冬花 谷崎未来
三冬花 谷崎未来
東京京橋の画廊、名古屋の骨董店であわせて10年以上勤務し、20年以上、骨董品や掛け軸、美術品の買取業務に携わっております。骨董品、掛け軸、美術品の査定買取は三冬花にお任せください。愛知県(名古屋市)、岐阜県、三重県、滋賀県のお客様はお気軽にお問い合わせください。出張料、査定料など一切無料です。(※内容によってはお伺いができない場合もございます)
三冬花では価値ある美術品や骨董品を次世代へ橋渡しをする仕事をしております。