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志村立美の略歴 (Shimura tatsumi)
1907年2月17日 | 群馬県高崎市に生まれる |
1924年 | 神奈川県立神奈川工業高等学校図案科を中退し、山川秀峰に入門して美人画を修める |
1933年 | 小説家・林不忘による新聞連載小説『丹下左膳』の挿絵を担当 |
1976年 | 作品集『美人百態』で日本作家クラブ賞を受賞する |
1980年5月4日 | 東京都の病院で亡くなる。享年73歳 |
志村立美は1907年に群馬県で生まれ、大正・昭和に活躍した日本画家です。幼少期から芸術に興味を持ち、高校時代に工業高校の図案科に入学しましたが、絵画の道を選び、中退して山川秀峰に師事しました。山川の指導のもと、美人画を学び、挿絵の世界でその名を広めました。その後、山川の紹介で新聞や雑誌の挿絵を手がけ、特に林不忘の小説『丹下左膳』の挿絵で人気を博しました。戦後も美人画を発表し、日本作家クラブ賞を受賞するなど、活躍を続けました。晩年には挿絵画家として引退し、日本画の制作に専念しました。彼の作品は美人画の美しさと繊細さで知られ、その功績は美術界に大きな影響を与えました。1980年に73歳で亡くなるまで、彼は芸術の道を貫きました。
志村立美が師事した山川秀峰
山川秀峰は京都生まれの画家で、最初は池上秀畝に師事して花鳥画を学び、1913年には鏑木清方に入門して美人画を習得しました。1927年に新版画「婦女四題」連作を発表し、1928年には「美人八佳選」を川瀬巴水の「日本新八景」とともに『新興版画選』として出版しました。同年と1930年の帝展で特選を受賞し、1931年からは無鑑査の地位を得ました。渡辺版画店や西宮書院からもモダンな美人画を発表し、「清方門下三羽烏」の一人と称されました。1936年に「をどり十題」を私刊で制作し、1939年には伊東深水らと青衿会を立ち上げ、美人画の新境地を開拓しました。1944年に神奈川県二宮町の疎開先で亡くなり、大田区妙覚寺に埋葬されました。
代表作には「素踊」「序の舞」「羽根の禿」があり、「舞踊シリーズ」の「さらし女」などの木版画も高く評価されています。また、「赤い襟」「東京駅」「信濃路の女」などの作品や、『講談倶楽部』や『キング』の挿絵も手がけました。