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小倉遊亀の略歴 (Ogura yuki)

1895年3月1日滋賀に生まれる。本名:ゆき、旧姓:溝上
1917年奈良女子高等師範学校を卒業し、京都第三高等小学校に着任
1920年捜真女学校教諭を務める。安田靫彦に師事する
1932年女性として初めて日本美術院同人に推挙される
1973年勲三等瑞宝章受章
1978年文化功労者受章
1980年文化勲章受章
1990年日本美術院理事長(~1996年)
1998年奈良女子大学初の名誉博士
2000年7月23日享年105歳

小倉遊亀は1895年3月1日に滋賀県大津市で生まれました。滋賀県立大津高等女学校を卒業後、1913年に奈良女子高等師範学校に入学し、在学中に絵を描くことに目覚めます。横浜の高等女学校で教えるかたわら、安田靫彦に師事し、1926年に再興日本美術院展に初入選しました。1932年には女性として初めて日本美術院同人に推挙され、1976年には日本芸術院会員となり、1980年には文化勲章を受章し、日本美術院理事長も務めました。2000年に105歳で亡くなるまで、旺盛な制作活動を続けました。

小倉遊亀の作品は、身近なものを題材とした人物画や静物画が多く、澄んだ色彩と骨太な線描が特徴です。彼女の作品には、東洋的な精神性と豊かな日常感覚が調和した近代的な表現が見られます。昭和初期に本格的に活動を始めた彼女の画業は、日本画に新たな変革をもたらしました。

また、彼女は1976年に日本芸術院会員、1980年に文化勲章を受賞し、大津市と鎌倉市の名誉市民に選ばれました。奈良女子大学の講堂の緞帳や滋賀県立大津高等学校の体育館の緞帳にも彼女の作品が使われています。

小倉遊亀作品の変遷

小倉遊亀は50歳を越えて世に広く認められた遅咲きの画家と言われています。小倉遊亀の作品は、鋭い観察眼に裏付けられた品格高い人物画や、静物画、菩薩像など、多彩な魅力に満ちています。彼女の画風の変遷は4つの時期に分かれ、大正時代から1950年頃までは細密な描写が特徴で、1951年から1965年頃までは西洋絵画の影響を受けた大胆な作品、1966年から1976年頃までは円熟期の作品、1977年から2000年までは創作意欲が衰えることなく続けられた作品が見られます。

43歳の時に30歳年上の禅研究家である小倉鉄樹と結婚し、その結婚が心豊かな生活をもたらしました。この頃の作品は柔らかく艶があると言われています。遊亀の絵の哲学は、無心の物は美しいという本質をとらえようとするところにあります。

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