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宮永岳彦の略歴 (Miyanaga takehiko)
1919年2月20日 | 静岡に生まれる |
1942年 | 第29回二科展に初入選 |
1972年 | 二紀会理事就任 |
1974年 | ブラジル国公認最高勲章グラン・クルース受賞、秦野市功労者表彰受賞 |
1978年 | 東郷青児美術館大賞受賞 |
1979年 | 日本芸術院賞受賞 |
1980年 | 衆議院依頼「第1回国会開会式天皇行幸図」制作 |
1986年 | 二紀会理事長就任。紺綬褒章受章 |
1987年4月19日 | 死去。享年65。勲三等瑞宝章受章 |
大正8年(1919年)2月20日に静岡県磐田郡で生まれる。昭和11年(1936年)に名古屋市立工芸学校を卒業し、松坂屋で勤務しながら創作活動を続ける。昭和16年から正宗得三郎に師事し、翌年の第29回二科展で「いもん」が初入選。昭和18年の第6回新文展でも「いもん」が初入選となる。戦後は二紀会に参加し、昭和22年の第1回展に「鏡」を出品して褒賞を受賞。同年、二紀会同人となる。昭和25年には日本宣伝美術協会の創立に参加。昭和29年の第8回二紀展では「裸婦A」と「裸婦B」を出品し、同人努力賞を受賞。昭和32年に同会委員、昭和47年には理事に就任する。豪華で華麗な西欧王朝風の美人画で知られ、昭和49年に日伯文化協会の要請で「皇太子殿下、同妃殿下肖像」を描き、同年にブラジル国公認のサンフランシスコ最高勲章グラン・クルース章を受章。また、同年の第28回二紀展に「ROKUMEIKAN 煌」を出品して菊華賞を受賞。昭和52年第31回二紀展出品作「碧」で東郷青児美術館大賞を受賞し、翌年の第32回展出品作「鵬」で日本芸術院賞を受ける。昭和61年には二紀会理事長に就任。30年代にはポスターや新聞・雑誌の挿絵でも活躍し、広く大衆的人気を博した。『宮永岳彦・現代の美人画』(昭和52年、講談社)、『宮永岳彦画集』(昭和54年、実業之日本社)が刊行されている。
宮永岳彦の作風
宮永は油絵やポスター、書籍の表紙画と装丁、挿絵、水墨画など、多彩な分野で作品を残し、それぞれにおいて先駆的な業績を上げたことで知られています。特に有名なのは、『ぺんてるくれよん』のパッケージ(向かい合う男の子と女の子)や『小田急初代特急ロマンスカー』(3000形SE車)の内外装デザインです。また、1974年にはブラジルの日伯文化協会(現在のブラジル日本文化福祉協会)の依頼で、当時の皇太子ご夫妻(現在の上皇・上皇后陛下)の肖像画を描きました。この『皇太子・同妃両殿下御肖像画』は60号の大作で、サンパウロ市の日伯文化協会皇太子記念館貴賓室に掲げられました。明治以降、宮内庁の正式な許可を得て天皇家を描いたのはこの作品だけと言われており、宮永はこの作品によりブラジル政府からサン・フランシスコ最高勲章グランクルース章を受章しました。
宮永岳彦の買取相場
宮永岳彦の作品の買取価格は作品によって大きく異なり、最高30万円に達することがあります。
絵画の場合、油彩画、水彩画、デッサンなどの種類によって価格が変動し、特に油彩画が最も高値になる傾向があります。さらに、作品のモチーフや出来栄えによっても価格が大きく変わり、プロの眼による評価が重要となります。