牧野義雄は幼い頃から水墨画を学び、23歳で単身アメリカに渡り、画家か文筆家かで悩んでいたところ、アメリカ総領事の助言を受けてサンフランシスコの美術学校に通うことにしました。その後、排日の雰囲気が強まるアメリカを離れ、1897年にイギリスへ渡ります。極貧生活の中でアルバイトをしながら絵と文筆活動を続け、40年間イギリスで活動を続けました。渡英後、日雇いの生活を送りつつ、英国駐在中の海軍大佐の計らいで日本海軍部の造船監督事務所に職を得ましたが、1901年に解雇され、絵画モデルや雑誌社への作品の売り込みで生計を立てました。同年、中央美術工芸学校で出会った教師の紹介で、『ザ・ステューディオ』誌に作品が掲載され、これをきっかけに雑誌の挿絵や本の表紙を手掛けるようになりました。1902年からは『イングリッシュ・イラストレーテッド・マガジン』での仕事を始め、さらに『マガジン・オブ・アート』の編集長ともつながり、ロンドンの社交界にデビューしていきました。1907年には画集『The Colour of London』を出版し、これが成功を収めました。さらに、ジャポニズム文学ブームの影響で英文の『倫敦日記』が評判となり、ヨシオ・マルキーノの名で自伝的書籍を複数刊行しました。ロンドン社交界の寵児として名を馳せ、英国デイリーメール紙の「世界一千人名士名簿録」にも名を連ねることとなりました。
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