小林清親の買取ならお任せください|浮世絵・光線画・明治期作品を高価査定

小林清親(こばやしきよちか)は、明治初期から活躍した浮世絵師であり、「光線画」と呼ばれる独自の風景版画で知られています。文明開化を迎えた東京の街並みを、光と影の繊細な表現で描き、後世に大きな影響を与えました。当店では、小林清親による版画・肉筆画・風刺画・戦争画など幅広い作品を高価買取しております。査定は無料、ぜひお気軽にご相談ください。

小林清親の略歴 (Kobayashi kiyochika)

弘化4年(1847)8月1日江戸本所にて幕臣で本所御蔵小揚頭取を務める小林茂兵衛のもとに生まれる
明治7年(1874)本格的に絵師を志す
明治9年(1876)「東京江戸橋之真景」「東京五大橋之一両国真景」発行
明治14年(1881)『團團珍聞』入社、「ポンチ絵」と呼ばれる社会風刺漫画を描く
明治17年(1884)「武蔵百景之内」出版
明治27年(1894)團團珍聞を退社し、「清親画塾」を開く
明治33年(1900)『二六新報』に入社するが、賄賂問題で逮捕され、裁判になり退社する
明治37年(1904)日露戦争を主題にした戦争絵を描き始める
大正3年(1914)京橋築地倶楽部で「清親百画頒布会」開催
大正4年(1915)11月28日死去。享年68

小林清親は、江戸御蔵方組頭・小林茂兵衛の子として生まれ、号を方円舎、真生楼、真生と称しました。明治維新後に静岡へ移住し、明治7年(1874)に上京。写真を下岡蓮杖に、日本画を河鍋暁斎・柴田是真に、洋画をワーグマンに学びました。明治9年(1876)には、版元松木平吉のもとで光線画(遠近法と光の表現を取り入れた浮世絵風景画)を制作し、東京名所絵として人気を博しました。また、ポンチ絵や新聞・雑誌の挿絵、肉筆画も多く手がけました。門下には井上安治や田口米作らがいます。

「光線画」の誕生

明治9年(1876)、小林清親は版元松木平吉から「東京銀座街日報社」など5点の木版画を「光線画」として発表しました。文明開化が進む東京の風景を題材に、光と影を繊細に表現し、大きな人気を博しました。当時流行した「開化絵」と異なり、光線画は西洋から流入した油彩画や写真などのリアリズムに影響を受け、木版画で新たな表現を試みたものでした。初期作品の一部には英語題名が記され、外国人向けの土産品に対抗した可能性も指摘されています。なお、光線画以前にも伝統的な浮世絵様式の作品を手がけており、光線画は清親にとって画風を一新する斬新な挑戦でした。その後、版元を替えながら明治14年(1881)までに93点を制作し、「東京名所図」として知られるようになりました。

光と影で描く文明開化

明治初期には、文明開化を描いた「開化絵」が流行し、鮮やかなアニリン染料を使って西洋建築や鉄道を報道的に描くのが特徴でした。これに対し小林清親は、開化の事物を風景の一要素として取り込み、空や光、影を巧みに表現して詩情豊かな画面を生み出しました。

清親は「海運橋第一銀行雪中」などで雪景色に擬洋風建築を溶け込ませ、「両国雪中」「大伝馬町大丸」では電信柱をさりげなく描き、時代の変化を静かに伝えました。また、人力車や乗合馬車、蒸気船など新たな交通手段も描き、「品川海上眺望図」や「高輪牛町朧月景」では、石版画の影響を受けたリアルな構図が見られます。

さらに、競馬や上野公園の写生風景、鋳物工場で働く人々の姿など、新しい風俗や労働の情景にも目を向けました。軍事や制度を題材にした作品や、内国勧業博覧会の様子も取り上げ、時代の移り変わりを描き出しています。明治14年(1881)を境に、清親は都市風景版画の制作を終えました。

大火

明治14年(1881)、小林清親は、神田松枝町や久松町で発生した大火を題材に、4点の版画を制作しました。特に炎を描いた作品は人気を集め、版を重ねるごとに火勢が増すように表現され、複数並べると連続する情景のように鑑賞できます。この火事は明治期最大規模で、清親は夢中でスケッチを重ねるも、自宅が焼失したと伝えられます。

ただし現存する写生帖から、すべての作品に現地スケッチがあったわけではなく、一部は創作による演出も含まれていたことが指摘されています。特に「両国焼跡」では、焼け焦げた柱や人影を強調し、幻想的な雰囲気を醸し出しています。清親が火事に美しさを見出していた逸話も残り、彼の光と影へのこだわりがうかがえます。

この大火をきっかけに、清親は東京風景版画の制作を終え、活動の場を新聞挿絵や風刺画に移しました。背景には、火災による喪失だけでなく、明治14年の政変など社会への不信感も影響したと考えられています。

ポンチ絵と戦争画

明治14年(1881)、小林清親は、人物の動きや表情を戯画化したポンチ絵に取り組み始めました。それまでの光線画から一転し、「清製炊痴」シリーズで東京名所を背景に庶民の滑稽な姿を描き、時に世相風刺も試みました。翌年には、表情を極端に誇張した「新版三十二相」や「三十二相追加 百面相」も制作し、コミカルな作風を確立します。

同時に清親は、時局雑誌『団団珍聞』を発行する団団社に入り、挿絵を担当。自由民権運動を支持する風刺画で注目されました。幕臣出身で政府に批判的だった彼にとって、政変後の政治的高揚は転向の一因だったと考えられます。

また清親は、戦争画にも取り組みます。西南戦争時に少数を制作した後、日清戦争(1894年)では浮世絵師の中で最多の作品を手がけ、夜間の戦地を描く光と影の表現で独自性を発揮しました。敵国を揶揄したポンチ絵「百撰百笑」も当時の世相を伝える史料となっています。日露戦争(1904年)では浮世絵自体が衰退したものの、清親はなお多くの戦争画を残しました。

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