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鬼頭鍋三郎の略歴 (Kito nabesaburo)

1899年6月18日愛知県愛知郡千種町(現:名古屋市千種区)の地主の家に次男として生まれる
1916年名古屋商業学校を卒業し、明治銀行に入行(1921年退職)
1923年上京し、岡田三郎助に師事。松下春雄と美術グループ「サンサシオン」結成
1924年辻永に師事。帝展に出品
1934年帝展特選
1942年呉淞上陸作戦の記録画を依頼され中国に渡る
1943年「小休止」で陸軍大臣賞受賞
1944年従軍画家として戦地に赴任
1954年イタリア、オランダ、アメリカ等へ渡り、1年ほど漫遊
1956年日本芸術院賞受賞
1970年勲三等瑞宝章受章
1982年6月14日死去。享年82

洋画家として知られる鬼頭鍋三郎は、愛知県名古屋市千種区で生まれ、1921年に明治銀行を退職し、翌年春山行夫らと共にサンサシオンを設立。その後、東京へ上京し、岡田三郎助および辻永の下で学びました。光風会を中心に活動し、帝展にも作品を出品。1931年には光風会会員になり、その後も文展審査員、文化功労者、日本芸術院会員など多くの要職を歴任しました。愛知県立芸術大学の教授や日展顧問も務め、勲三等瑞宝章を受章するなど、多方面での貢献が認められました。

彼の代表作には、「手をかざす女」や、戦後に展開したバレリーナシリーズ、舞妓を描いた「先笄」などがあります。特に「舞妓」シリーズは広く知られており、舞妓を題材にした画家としては珍しく、彼はモデルに対して非常に配慮深く、ポージングの要求はしても強制は決してしませんでした。そのため、モデルたちも彼の下での作業を心地よく感じていたと言います。創作活動では、毎年正月と祇園祭の時に「祇園 桝梅」を訪れていました。また、生涯を通じてヘビースモーカーでしたが、晩年は心臓病を理由に禁煙しました。常に若い世代と交流し、若々しい気持ちを保つことを心がけ、早寝早起きを習慣にしていたことも彼の長寿の秘訣でした。

舞妓やバレリーナを題材にした作品

鬼頭鍋三郎は写実的で優美な画風を特徴とし、特に舞妓やバレリーナを題材にした作品で知られています。1951年には「バレリーナ」シリーズを制作し、その後、1954年にパリにアトリエを構え、ヨーロッパ各地を旅行しました。戦時中は従軍画家としても活動し、その後のバレリーナシリーズや舞妓シリーズを通じて、日本の美を現代的に表現し続けました。彼の作品は、戦地で見た厳しい現実とは対照的に、優雅で洗練された女性の姿を描いたことで評価されています。鬼頭の描く舞妓は、正面を向かず遠くを見つめるかのような姿で、大胆な筆使いによって顔の細部を省略し、控えめな舞妓の姿を対照的に表現しています。

鬼頭鍋三郎の買取相場

鬼頭鍋三郎の作品の買取価格は作品によって大きく異なり、最高で40万円に達することがあります。

絵画の場合、油彩画、水彩画、デッサンなどの種類によって価格が変動し、特に油彩画が最も高値になる傾向があります。さらに、作品のモチーフや出来栄えによっても価格が大きく変わり、プロの眼による評価が重要となります。

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刈谷市美術館より引用