【土佐光起 とさみつおき】  元和三年~元禄四年(一松)
土佐光則の子。承応三年(一六五四)に左近将監となって絵所預に就き、宮廷の絵所を再興。江戸時代に土佐派の伝統的画風を復興した。南宋の画家、李安忠に倣った鶏図を得意とした。

【彭城百川 さかきひゃくせん】 元禄十年~宝暦三年

江戸時代中期の文人画家。名古屋の薬種商に生ま れる。姓は榊原、名は真淵、字は百川。蓬洲、八他堂などの号がある。初め俳諧を学んだが、後中国の文人画の研究に励み、法橋に叙せられた。元、明 画風の作品だけでなく、俳画風のものもあって、初期の南画家に共通する多様な画風をみせる。中国画家の略伝である『元明画人考』を著した。代表作に 「京都 近江名所図巻」 や陶原家障壁画(一七五一)が ある。

【柳沢淇園 やなぎさわきえん】 宝永元年~宝暦八年

江戸時代中期の文人画家。柳沢家の家老曾根家の二男に生まれ、柳沢の姓を許された。名は里恭、字は公美。淇園は号で、柳里恭とも呼ばれた。画は狩野派や、長崎派の英元章に学び、綿密な写生画を多く描く。祇園南海(一六七六~一七五一)、彭城百川とともに南画の先駆者とされ、池大雅の師としても有名である。著書に随筆『ひとりね』や『雲津雑誌』がある。指墨による竹を得意とし、ほかに「西湖図」 (東京芸術大学蔵)などがある。

【池大雅 いけのたいが】 享保八年~安永五年

江戸時代中期の文人画家。京都の銀座役人の家に生まれる。池野氏で、幼名は又次郎、のち勤、字は公級、賞。大雅堂、霞機などと号す。幼くして父を失い、扇屋を業とした。初め土佐光芳に学んだと伝えられるが、南画に向かい、柳沢淇園や祇園南海に教えを受ける。日本各地を旅行して実景を写し、障壁画の伝統的手法を取り入れて独自の様式を作り上げ、日本的南画を大成した。障壁画から画巻まであらゆる画面形式をとり、技法の点でも指頭画、たらし込み、金碧画など多彩である。画面に表された空間は明るい広がりをみせ、その中に山水や人物がのびのびと描かれている。

【与謝蕪村 よさぶそん】 享保元年~天明三年

江戸時代中期の画家、俳人。摂津の人。本姓は谷口、のち与謝と改める。名は信章、寅、字は春。蕪村は俳号で、画号は四明、朝などを用い、晩年は謝寅と号した。二十歳ころには江戸に出て、俳詣の早野巴人(宋阿)、詩文の服部南郭に教えを受けた。画は独学のようで、若いころから描いていたが、独自性をみせるのは五十歳に近くなってからである。みずみずしい色彩の南宗画的なもの、格調高く迫力のある水墨画、そして軽妙な俳画と独得な画風をみせ、池大雅とともに日本南画の大成者と称される。代表作に「竹林茅屋・柳喬帰路図」屏風、「新緑杜宇図」「峨帽露頂図巻」「奥の細道図巻」がある。

【木村兼葭堂 きむらけんかどう】 元文元年~享和二年

江戸時代中期の好事家。大坂の人。名は孔恭、字は世粛。通称を坪井屋多吉郎、のち吉右衛門と改めた。号を異斎、書斎を兼葭堂と称した。酒造業を営んでいたが財産を没収され、文房具商となった。画を池大雅などに学び、詩書画に巧みであったが、それ以上に蒐集家として、また文人との交友やその後援者となったことによって有名である。『兼葭堂日記』や『兼葭堂雑録』 を書き、「山水図巻」などが遺されている。

【山本梅逸 やまもとばいいつ】 天明三年~安政三年

江戸時代末期の文人画家。名古屋の彫刻師の長男として生まれる。名は親亮、字は明卿。梅逸、玉禅居士、梅華主人の号をもつ。中林竹洞とともに神谷天遊の世話になり、京都に出た。美しい色彩の花鳥画を描いて有名になったが、安政元年(一八五四)に名古屋に帰り、画技によって士分にとりたてられた。「花鳥図」三幅対 (東京国立博物館蔵)や『畳泉密 竹図」などが遺る。

【貫名海屋 ぬきなかいおく】 安永七年~文久三年

江戸時代末期の文人画家、書家。阿波徳島藩士の二男。名は苞、字は君茂、恋の号がある。大坂で中井竹山に儒学を学んで京都に塾を開き、書では幕末の唐様の第一人者といわれた。画は初め藩の絵師に狩野派を学んだが、長崎で鉄翁に南画を学ぶ。正統的な南宗画を受け継ぎ、温雅な画風をみせる。「永源寺秋景図」や「歳寒有伴図」などの作品がある。

【中林竹洞 なかばやしちくどう】 安永五年~嘉永六年

江戸時代末期の文人画家。名古屋の医師玄棟の子。名は成目、字は伯明。竹洞のほか沖濱などの号がある。名古屋の富豪神谷天遊の家で学び、山本橋逸と知り合い、ともに京都に出る。明、清画に学び、画論家として『画道金剛杵』(一八〇一)、『竹洞画論』(一八〇二)などを著して南宗画を広めた。山水画を得意とするが、南宗画の柔らかさに欠ける。代表作は「夏雨初鳴図」「雲山浦趣図」など。

【桑山 玉洲 くわやまぎょくしゅう】 延享三年~寛政十一年

江戸時代中期の文人画家。紀州の人。名は嗣燦、字は明夫。号は玉洲、鶴跡園などがあり、桑嗣燦ともいった。初め沈南蘋の写生画風を、ついで池大雅に南宗画を学んだ。山水画に個性をみせるが、むしろ画論家として有名であり、『玉洲画趣』『絵事鄙言』 などを著した。代表作は「富士・箱 根図」 襖絵、「若浦図巻」など。

【田能村竹田 たのむらちくでん】 安永六年~天保六年

江戸時代後期の文人画家。豊後竹田の藩医の二男に生まれる。名は孝憲、字は君難。通称は行蔵で、竹田、九畳価史など多くの号がある。初め儒学を修めて藩校由学館の教授ともなったが、農民一揆に際して提出した藩政改革の建言書が容れられず、辞職して文人の生活を楽しんだ。詩書画をともによくし、日本の南画家の中で最も文人にふさわしい性格をもっていた。画風も中国の南宗画に近いもので、神経のいきとどいた気品のある温和なものである。著書に『山中人饒舌』『竹田荘師友画録』がある。代表作は「船窓小戯帖」、「亦復一楽帖」 、「稲熊舟遊図」などである。

【喜多元規 きたげんき】

生没年不詳。十七世紀後半に活躍した黄檗派の画家。承応から元禄にかけて(一六五二~一七〇四) 黄檗僧だけでなく、俗人や他宗の僧の肖像画を描いた。黄檗派頂相の写照性に顔貌や衣服に色彩の濃淡による陰影を施す洋風画的手法を加えて、迫真性を強くあらわした。中国画と西洋画の折衷的なものといえる。代表作は「隠元和尚像」(一六七一、万福寺蔵)、「稲葉茶応居士像」(一六九三、弘福寺蔵)など。

【渡辺崋山 わたなべかざん】 寛政五年~天保十二年

江戸時代末期の文人画家。三河田原藩士で江戸に生まれる。名は定静、字は伯登または子安。通称は登、初め華山と号し、後、華山と改める。父は家老にまでなったが、家は貧しく、内職として画を始めた。蘭学に興味をもつようになり、高野長英らと交わったが、天保十年(一八三九)の蛮社の獄で逮捕され、蟄居中に自殺した。画は谷文晁(一七六三~一八 四〇) に学ぶが、洋画の影響を受けた肖像画に特徴をみせる。細かに描き出すだけでなく、顔や衣服に陰影をつけて立体感を出し、迫真性をもつものである。「鷹見泉石像」、「回州真景図巻」が代表作。

【岡本秋暉 おかもとしゅうき】 文化四年~文久二年

江戸時代末期の文人画家。小田原藩士。名は隆仙、字は柏樹。通称祐之丞。大西圭斎、あるいは敏形意斎に学び、その後、渡辺崋山の門に入る。花鳥画を得意とし、南蘋派の画風を加えた、写生を基礎とした装飾的な作品を描いた。代表作に小田原城障壁画や「牡丹軍鶏図」(東京国立博物館蔵)がある。

布袋図 黙庵筆 南北朝時代(14世紀前半)

梅雀図 可翁筆 南北朝時代(14世紀前半)

渓陰小築図 伝明兆筆 室町時代(1413)

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伊東深水  奥村土牛 川合玉堂  富岡鉄斎 竹内栖鳳  鏑木清方 酒井抱一 白隠禅師 池上秀畝 円山応挙 小川芋銭 榊莫山  伊藤博文 西郷南州 大橋翠石 橋本雅邦 谷文晁  榊原紫峰 北原白秋 野口雨情 橋本関雪 福沢諭吉 松林桂月 池大雅 英一蝶  田中一村 長谷川等伯 伊藤若冲 曽我蕭白 浦上玉堂 木村蒹葭堂 雪舟 橋本雅邦 長沢芦雪 渡辺崋山 森狙仙 田能村竹田 頼山陽 松村景文 荒木寛畝 尾竹竹坡 菊池容斎 菊池芳文 岸竹堂 松本楓湖  渡辺省亭

横山大観の生涯と芸術

川合玉堂その形成と芸術

錦絵(浮世絵)

世界でもっとも早期に制作された全面色彩印刷の絵画である錦絵は、比較的に安価であるところから、江戸中・後期の庶民のあいだで愛好されて、大量に普及しました。これ専門の絵師に、春信、清長、歌麿、北斎、写楽、豊 国、国貞、国芳、広重などの英才が続々と出現しています。

文人画
京都を中心に紀州藩の儒者祇園南海、大和郡山の家老柳沢淇園、名古屋の薬種商の彭城百川などの先駆者が現れ、それを継承する池大雅、与謝蕪村、伊藤若冲、円山応挙、浦上玉堂、青木木米、田能村竹田、岡田米山人といった優れた画家が職的に活躍しました。江戸においても、この時期になると、上層武士の出である文人画家酒井抱一、公私にわたって人気のあった谷文晁、その感化から成長した鈴木芙蓉、春木南湖、立原杏所、椿椿山、渡辺崋山、田崎草雲らの同種の絵 師が輩出して、画壇を主導し、その画系は、その後の 明治維新を通過して、大正期にまで及びます。

落款
字義としては、「款」は「まこと」の意味で、「落」 は落成ということで、作品中に署名をおこないます。どちらか一つの場合もあります。それらが全くない作品も稀に存在しますが、そのような無落款の作品が特定の作者のものであることを証明するのは、一般にきわめて困難です。同様に厄介であるのは、それが偽造されているときで、その場合には、作品そのものが贋作であるのが普通であるとはいえ、無落款の真作に後から偽造の書名と印章が入れられている事例もありますので注意が必要です。