私たちは、いろいろな機会に寺に詣でる。信仰とは 別に観光で訪れることが多いこの頃、詣でるのではな く、美術品を見に行くのと同様な鑑賞行為になるのか もしれないが、それにしても、眼の前に置かれている 彫刻や絵画が何を描き、彫ったものであるかを、最低 限度知らなければ、「見た」と言うことにはならない。 ただ高貴なものを仰いだ、というのでは、心は満たさ れない。
ご存じのように、すべての宗教には、尊像というも のがある。仏教は、紀元前五世紀の初めに、釈迦が開いた宗教で、中央アジア、中国、朝鮮、南アジア、日 本などに広がり、さまざまな宗派が派生したが、原理は同一で、教義に基づいて、多数の尊像が生み出された。
その様態があまりに多数に及ぶので、敬遠する人もあろうが、基本は幾つかに集約できるので、それさえ頭に入れておけば、これはどういう像であるかを感知するのは、そう難しいことではない。
「最高位の如来」

中心となるものは、何と言っても、釈迦であるが、それを別格として、その後、釈迦と同じように悟りを 開いた聖者がいるという考えから、幾多の尊像が作り だされた。そうした最高位に存在するのが「如来」(ほとけ)で、弥勒如来、阿弥陀如来、薬師如来、毘盧遮 那如来、大日如来などである。
弥勒は遠い将来に生まれて釈迦と同じ役割を果たす救いの仏。悟りを開くのは容易ではないが、修行に努 め、功徳を積めば、極楽浄土から迎えにきてくれて往 生できる仏が阿弥陀。人間に死をもたらす病気の平癒 を祈る現世的な救済の対象が薬師。
このようにそれぞれの働きをする仏たちを統一し、釈迦に代わる根源的な位置を占めるのが、毘盧遮那で、 その統一的な役割をより広げて、諸仏を包括するのが、太陽のような大日である。

「現世的な菩薩」
俗世間に煩悩を持って生きる大多数の人間にとっては、高い境地に達することはなかなかできるものではなく、せめて、現世において願いを聞き届けてくれる頼りになる力が欲しいという心情から、菩薩像が生まれた。
多数のものがあるが、なかでは、人々にもっとも良く親しまれているのが観音菩薩である。三十三に姿を変え、あらゆる災難を取り除いてくれると信じられて、 この美しい女性の仏は、大衆信仰の最大の対象となった。そしてその形姿は、十一面観音、千手観音を始め として、実に多様である。
弥勒は、前記のように、本来、如来であるが、むしろ菩薩としてより厚い信仰を集めている、と言っていい。地蔵菩薩、馬頭観世音菩薩については言うまでもないが、一身三頭の象に乗る普賢菩薩、知恵を授けてくれる文殊菩薩、地蔵と対照的、太陽や星の恵みを与えてくれる虚空蔵菩薩など、数えきれないものがある が、各自の性格を掴むことに努めるならば、いっそうの親しみが湧くことは間違いない。
「構成と配置」
以上が、普通、仏像と呼ばれるものだが、それらは、他に守護神らを混じえて、多くの場合、ある群として 配置されている。阿弥陀如来だったら、観音菩薩と勢至菩薩が協力し ている、薬師如来だったら、日光菩薩と月光菩薩がいる、大日如来だったら、不動明王と降三世明王がいる、というのが定式になっている。しかし、なかには失われたものもあって、不揃いもしくは一体で安置されている場合も少なくない。それらのケースとは違って、一体がそれ独自で信仰を集めて十分に成り立っている寺もある。
いずれにせよ、仏像にはそれぞれの性格と働きがあるのであり、それを多少なりとも理解することは絶対に必要であり、それを怠っては、折角の宝物を見ても、本当に見たことにはならない。宗教的にはもちろん、美術鑑賞の上でも。仏に向かって「おもしろい」と言ってはいけないのかもしれないが、そう感じることもまた、霊験の一端に触れることになるのではなかろうか。

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三冬花 谷崎未来
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